念仏者取締令を出す

天福2年鎌倉幕府が、念仏者取締令を出す。

その為、62、3歳の頃に帰京する。

帰京後は、著作活動に励むようになる。

親鸞が帰京した後の東国では、様々な異義異端が取り沙汰される様になる。

寛元5年75歳の頃には、補足・改訂を続けてきた『教行信証』を完成したとされ、尊蓮に書写を許す。

宝治2年、『浄土和讃』と『高僧和讃』を撰述する。

建長2年、『唯信鈔文意』を撰述する。

建長3年、常陸の「有念無念の諍」を書状を送って制止する。

建長4年、『浄土文類聚鈔』を撰述する。

建長5年頃、善鸞とその息子如信を正統な宗義布教の為に東国へ派遣した。

しかし善鸞は、邪義である「専修賢善」に傾いたともいわれ、正しい念仏者にも異義異端を説き、混乱させた。

また如信は、陸奥国の大網にて布教を続け、「大網門徒」と呼ばれる大規模な門徒集団を築く。
update:2010年06月04日